ひみつの ばしょの つくりかた
ネットの公開の場に文章を出す以上、批判されるのは仕方ない。公道で演説しておいて、「勝手に感想をいうなんて、ヒドイ」というのは、やっぱり変だと思う。私自身は、自分が批判をする対象として、ある基準を設けているけれど、これはあくまで個人的なもので、誰にでもあてはまるものではない。
演説のつもりはなかった、といっても、聞こえるものは聞こえるのだ。本当に批判されたくなければ、聞こえないように、たとえば信頼できる人にだけパスワードを知らせて見てもらうような場で書けばいい。「うちのブログにはそういう仕組みがついてないんです」というなら、そういうものをもう1つ借りて、リンクで結べばいい(見本)。簡単なことだ。
ただし。批判も当然、批判される。もしも、公道の演説に、罵倒の野次を返せば、周囲に冷たい目で見られる。それもまた仕方ない。
なんか《はてな》ブックマークの関連で、いろんな方がいろんなことを書いていらっしゃるので、書いてみたけれど。
うん、なんか、まだごく単純なところでしか、捉えきれてないみたいです>自分。
あ、それから。私がウェブでよく「××なのは秘密」って書くのは、冗談です。(最近、冗談がまったく判らない(のか判らないふりなのか)人がいらっしゃるので、念のため^^)
メモ(21:43追記)
(straymind氏)
- 天井裏の王国
- オオヤケ-ワタクシの別がまだちょっとよくわからない。たとえばだけれど、姑の悪口(愚痴)をブログに書いた人がいたとして、姑と同じ立場の読者が批判的なコメントを寄せたとする。愚痴を言った人にとっては、ワタクシであっても、「姑の立場」を非難された側にとっては、「ネットの誰かに、自分に似た立場の人を非難された」というオオヤケ感覚なのじゃないか?
- スキル・メンタル・フィジカル
- 世を捨てよ、鍵をかけろ! もしくは なるべく多くのものを掬い上げるために
- 「人」単位で、鍵を掛けるか公開かの二者択一の話になっているような気もするけど、誤読かもしれない。
- 言及と被言及に関する議論の私的メモ
- まだちゃんと読みとれてない気がするのであとでもう1度読む。
(Y!風麺氏)
- ブログだって「人に聞こえる音量の独り言」に成り得る訳だが
- ブクマコメントに書いて伝えた気になられても困る、と時々思う。それと表裏一体みたいな話かな。
- 「公」と「私」と批判と