議論の理由

 1度このテーマで書いてみたいなあ、と思いながら、2ケ月も放置しているkan_nin_kiyama氏「それは諦念なのか・・・ 」を読み返す。

結局は結論を重視する人と議論自体を楽しむ人の2種類がネット上には存在しているのではないか・・・

 これまでは、自分を議論を楽しむタイプだと思っていた。

 いま、《FC2》ブログのほうで、コメントだなんだで交流のあった方に、私が論戦をふっかけた形になってるんだが。

 楽しくない。微塵も楽しくない。

 なんかが間違っている。この方はこんな方ではなかったはずだ。どこかで私が取り違えているんじゃないか。しかし何度読み返しても、そう書いてある。じゃあ、取り違えていたのは、私の人を見る目のほうなのか。記事書きながら悶々とする。
 楽しくないなら、書くのを止めたらよさそうなもんなんだ。誰に義務づけられたわけでもないのだから。しかし、
「このまンまほったらかしておいて、この方の意見が、《FC2》界隈の定説になったらどうするよ」
 それは、困る。


 《FC2》のテンプレート関係では、私は「作り手」ではない。一時期、いくつかテンプレートを出したが、8月のリニューアルで無価値になったと思ったからほとんど消した。
 今の私は、歌手のまわりで騒ぐミーハーなファン同様、何人かのテンプレート作者さんに(無責任に)がんばれーというばっかりの、ただのファンである。

 ンでもって。私の存じ上げる何人かの作り手さんは、私と違って心優しく謙虚だ。「あの方たちがそうおっしゃるなら」とブログを消して引退しかねないンじゃないか、そんなことを心配してしまう。ブログが消えれば、画像の入ったテンプレートは、消える。さっきまであった「きれいなもの」が、なくなるのがいやだ。いやだいやだいやだと、地面にネッ転がって騒ぐ幼児を、私は内側に抱えている。

本当に「グレイ」を求めるなら、「グレイ」の石を置くべきではないのか?
白い石を置くのは、叶わぬこととは知りつつも、「白を求めている」からに違いない。

 と言われたこともあるのだけれど。

 法律でさえ、解釈は一つではない。法に解釈が1つしかないのであれば、弁護士も検察も要らない。警察だけあればいいのである。しかもそのうえ、《FC2》のブログ規約は厳密な出来とは言いがたい。s氏の解釈もd氏の解釈も、成立の余地はおそらくゼロではない。が。反論が不可能というわけでもない。

 正直にいって、WEBで議論をするときに、相手の意見を変えることができる可能性は、かなり低いんじゃないかと見込んでいる。そもそも、そんなにすぐに意見を変えるような人間は、自分の意見を押し出した記事なんぞ書かないからだ。
 何かの記事を読み、反論記事を書く。TBをうつ、TB欄のないブログのコメント欄にURLを書き残す。
 そのとき、私の記事が相手を変えることは期待していない。私の意見が誰かに影響を及ぼすとしたら、
「ふぅん、そうかなあ」
 くらいの納得度で相手の記事を読んでいる読者じゃあ、なかろうか。今回でいえば、s氏やd氏の読者である。お二人のブログの性格からいって、テンプレートの作者もいるはずだ。そのなかには、これまでアダルト禁止の規約を付してきた方もあるはずだ。
 何人いるか、いるかいないか判らない相手に、私は語りかける。この方たちの意見は、反駁可能だ、と。どちらが正しいと思うか、どちらの方策に従うかは、あなた自身で決めてください、と。