言葉の硬度

 最近立て続けに、「その言葉がその場にふさわしいか?」という問題に当たった。
 とりあえず、ちょうどいい言葉を見つけることができないので、ここでは仮置き的に「言葉の硬度」という語を当てておく。


 私が自ブログで法律用語を連々と使ったエントリーを書いて《FC2》ブログフォーラムにリンクを貼ったことが、straymind氏の批判をうけた
 「敵・味方」という語も批判を浴びた。
 そして私自身は、某所で「死」という語が揶揄に使われたことが、どうしても「気持ちがついてゆかない」ところがあって、コメント欄で騒ぎたてた。(すでに削除)


 法律用語の件については、リンク先にすでにかなり書いているので、ご興味のある向きはどうぞ。こちらはあまり反省していないミ^。^彡っ


 でも「敵と味方」のほうは、軽く使いすぎたかな、と思う。この界隈の“場”は、某戦争ゲームの戦中ログとは違うってことだ(←あたりまえw)。これは反省点。
 あのエントリで書いた「敵・味方」は、選手がフェアプレイの精神を重んじてプレイをしている脇で、応援が、ひいきの選手の敵をヤジっていいのか、っていう感じに近い(まあ、ああいう書き方が、若い(小〜中学生)読者にはわかりやすいんじゃないかと思った部分もあるけど)。
 私がブログ界隈で使う「敵・味方」の語は、簡単にくるくる入れ替わる程度の重さしかない。たとえば、今戦は「敵」だとしても、その選手が移籍したら、次は味方同士かもしれない。あるいは、運動会の紅白騎馬戦、来年の運動会では味方かもしれない。上に上げた戦争ゲームで、私のなかの「言葉の硬度」が勝手に低下しちゃっているんじゃないかという疑いもある。たぶん、他の方の印象はもっと「硬い」感じ。「こんなところでそんな硬いもんをぶんぶん振り回すんじゃありません!」というお叱りだったんだと思う。


 それから、「死」の語。
 私は、ほんの短い間だったけれど、生物学畑の実験屋だった。私にとって、生命は……、ここで語の選択に困るのだけど……、どうも「神聖」という、これまた一部の方には毛嫌いされそうな用語が、いちばん近い。生命が重いから死も重い。ただその感覚は、私自身の経験に深くかかわるものであって、幼時から私の骨の髄に染み付いて、漂白しきれなかった部分なのかもしれず。共有できる人もいるかもしれないか、できない人もいるだろう。


 ある語が、私にとっては場に適うと思える。だが場に適わないという方もある。
 逆に、お使いになる方があるからには、場に適うと思ってお使いなのだろう語が、私は違うと感じてしまう。そんな場合もある。


 原則としては、語を使うのも書き手の自由、他者がその語を嫌うのも自由、他者にあわせて語をかえるかどうかもまた自由、だと思っている。
 多くの人が眉をひそめる語を使えば、評判を落とすだろうし、批判も受けることもある。今回私が批判を受けたように。