鍵コメのこと
鍵コメ(非公開コメント、内緒コメント)というのは、数も把握できず誰のものかもわからないので、正しい比較はしようもないのだが。
いろいろな状況証拠的に判断して、どうも私は、他の方よりも鍵コメを書くことが多いらしい。
「鍵コメ」関連の記事で印象に残っているものを、ざくざくと並べる。
- 「鍵コメは嫌いだ。」@ Ridge of Peregrine 2006/12/31
- 「秘密コメント機能は要らんよなぁ」@ ekken 2007/01/02
- 「ブログのコメントについての個人的思い」@ sugar pot 2007.01/05
- 「非公開コメントについてもう少し。」@ sugar pot 2007.01/07
- 「共有テンプレートの作り手と非公開コメント」@ sugar pot 2007.01/10
- 「内緒コメは内緒にしてね〜♪ (はぁと) 」@ トラブる!Yahoo!ブログの作り方♪〜児島の仙人のきまぐれメモ 2007/7/1
- 「敵味方というのもまたあぶないものであり。」@ Ridge of Peregrine 2008/05/30
- 「内緒コメント」@テラ・インコグニタに出会う 2008/6/3
こちらは自分が書いた分。
- 「内緒はなにが内緒なのでしょ」@ てんさい よりも もっといい 2007/7/3
- 「私信の公開について調べていたんだけど。」@ AdanKadanBlog 2008-03-06
わりあいに議論系の鍵コメにかかわる記事が多い、かな? 例外もあるけれども。
正直いうと、自分の鍵コメの7割は、議論系ではなく「見つけた自慢」である。
ブログ主の好みにあいそうな、サイトやブログ。中身は、論考、小説、詩、絵、写真、音楽、動画、などなど。
そういうものを、「こんなもん、見つけましたぜ、へっへっへっ」と自慢するのである。
記事の中身にパチっと合ったもので、かつ、そのブログに(粘着的に連コメするなどの)変な客がついていなければオープンにすることもあるが、おやつだって、そのお菓子が大好きな同士で「二人だけね♪」と食べるのは楽しいじゃないか(←ここが根本的に性格が悪いのではないかというつっこみは可)。WEBの見つけ物も、私にとっては同じである。
2割くらいは招待状、自分の他サイトURLである。原則として、阿檀名義のサイトから、麻生名義のサイトへのリンクは貼らないようにしているので。これは、「非実名で活動していてよかった、と思った時の話」以後についた習慣である。
議論系のものもないことはないが、たぶん、私が鍵コメで送っている「議論系」は、「表に出す価値のないもの」が多いと思う。根本的にケチなので、自分的に表に出す価値があると思ったものであれば、多少の刈り込みをしてでも表に出す。価値がある、というのは、「これは、いいものだ」という意味ではない。そんなものは表だろうと裏だろうと、いままで書けたためしがない。「事例研究的に、他の人にとって、例示の一つにでもなるかもしれない」という程度のもののことである。
なお、私は悪党なので、自分にとって「ヤバイ」ものを、鍵コメといえど、WEBに出すことはあまりない。
自分ではなく、自分以外の誰かにとって「伏せておいたほうがいいかな?」というものを鍵コメにすることが多い。
たとえば、批判記事をオープンで書く。批判の対象本人にも、そのブログの読者にも読んでほしい場合は、トラックバックをうつ。が、本人に伝わればよく、読者にまで見ていただく必要がないときは鍵コメにする。
また、他の方から鍵コメでいただいた内容がからむときは、鍵で返さざるをえない中身になることも多い。
あとは、撤退宣言のときか。撤退を表に宣言することもあるが、「思うところありまして」と、本来ならレス記事なりレスコメントなりを書くべき方たちに頭を下げてまわることもある。
WEBに出てすぐは「ないしょのはなし」はメールを使っていたと思う。だが最近は、自分のメールボックスがスパムまみれになり、初見の方のメールはスパムに埋もれがちだ。受けるメールの管理にイライラすることが多いので、初めての方に出すメールも減った。鍵コメに頼りがちなのも、「メールが使いにくくなったから」ということもあると思う。
いちおう書いておくけど、この記事の主眼はリンクリストですよ。私の鍵コメの中身なんざ、他の方からみればどうでもいいと思われる。
※私自身は鍵コメという言いかたが一番しっくりくるのだが、苦手な方もあるらしい。
《eXcite》方言じゃないかという気もする。