Y!風麺氏ブログ『観葉会』で、「マルチポストはなぜ悪い」方向の話題が出ている。

Y!風麺氏

私は、マルチハンドル・マルチポスター相手に優しくない。

著作権侵害!氏

本当に困っている人が複数の場所に同時に質問を投げかけることは、そんなに悪いことなのでしょうか?

tagindexさんのマルチポストルール

個人的には、「マルチポスト」という語を知ったすぐ後にtagindexさんのマルチポストルールを知ってしまったため、このあたりが許容とNGの境界線だと(漠然と)思っていたのだが。
(勝手に要約、原文は上記リンクを参照ください)

 要するに、1つの掲示板で回答がついて解決した課題を、他の掲示板で別の回答者が回答を書くという無駄を、極力発生させないように配慮していれば、複数の掲示板への質問は「推奨はしないが、許容範囲」というルールである。これって一般的なのだろうか、検証まではしていない。

「配慮あるマルチポスト」は少ない

 ただ、経験上、そこまでの配慮をしたマルチポストは、ほとんど見たことがない。けれど、回答をつけながら、
マルチポストは、マナー違反なんですよー」
と書き添えると、
「知りませんでした」
と誠実に謝罪してくださる質問者も、けして少なくはない。「初歩的な」質問をQA掲示板に投稿するような「初心者」は、「マルチポスト」がいけないことを知らないケースも多いのだ。

なぜマルチポストするのか

 ここから先は、まったくの印象論になる。上に、謝罪されることも多いと書いたが、その際の質問者の慌てようからの“空想”といってもいい。


 質問者は、マルチポストによって回答者が不快の念を抱くことなんてことは、想像だにしていない。
 なぜなら。
 たぶん、「回答者が、なぜ回答を書くかが、判らない」から、ではあるまいか。


 と簡単に書いたけれど。質問掲示板で回答者が回答を書く理由は、一つではない。私自身だって、一つではない。

答える理由は一つじゃない

 たとえば。はっきりって、自分の書いた記事やリリースしたテンプレート・プラグインの宣伝のために、回答を書く場合もある。といっても、私はアフィリエイトやランキングに参加しているわけではないので、記事にアクセスがあっても、テンプレートやプラグインが余計にDLされても、利益といったものはない。誰かの役にたてばと思った記事やテンプレート/プラグインが、「役に立つという目的」を果たしたのが嬉しいだけだ。
 大きな声ではいえないが、言葉の荒っぽい回答者の鼻先から、質問を「ひっさらう」という目的であることもある。ミ^。^彡っ。oO○(悪い狐!)
 この質問には、他の回答者より自分のほうが、良い回答が書けるだろうという自負があることもある。
 回答にチャレンジすることが、パズルのようで楽しいから、ということもある。
 私一人でも、質問により、これだけ違った理由がある。

答える理由が判らない

 質問者が質問した時点で、回答者の回答をまだ見ぬ時点で、回答者がなぜ回答をするのか、想像しようにもあまりに茫漠として。想像しきる前に、諦めてしまうのではなかろうか。……それより何より、質問者は「知りたいこと」で頭がいっぱいなのだ。
 あまり深く考えないまま、「回答者には、回答をする、初心者にはあずかり知れぬ理由があるのだろう」と心のどこかで諦めている。そして、自分は、回答が得られそうな、最大の努力をする。すなわち、わかるかぎりたくさんの場に質問を書き、できるだけ多くの人の目にそれが触れるように努力するのだ。


 回答する理由は一つではないと書いたけれど。よほど特殊な例でない限り「質問者に読んでもらうため」という要素はある。マルチポストをする初心者は、1ケ所で解決してしまうと、自分が立てた質問を全部は読んで回らないこともある。
「回答者だって、質問者の役に立てばと思うからこそ、時間と手間をかけて回答を書くんです。それを無駄にするようなことはよくない。だからマルチポストはよくない」
 そういわれると、質問者は、回答者が回答をする理由が、自分にも簡単にわかるようなものであることに、びっくりする。……びっくりしているように見えることがある。


 ああ、もちろんこれは、「悪意なき」マルチポストの話です。

無論、悪質なマルチポストもある

 上記『観葉会』に挙げられた具体事例は、《Yahoo!知恵袋》という1つのサイトの違う板(「プログラム」と「サイト作成」)に、わざわざ違うIDで投稿して、マルチポストを嫌う回答者のチェックを避ける意図があったようだし、回答がついたスレッドを「閉めた」後も他のスレッドは放置して、無駄レスへの配慮は省みないという、かなり悪質なマルチポストのように思う。回答者にもいろいろいるし、マルチポストにもいろいろいる。ただ、全てのマルチポストが悪意だと決め付けるのも、違和感を感じるのだ。